4月にTapTapさんで聴いた、吉川よしひろさんのチェロ感動して、ぜひともまた聴いてみたいとライブスケジュールを調べましたら、 その吉川よしひろさんと、これまたTapTap さん繋がりの続木力さん(のブルースハープ)、宮野弘志さん(アコースティックギター)をして、「伝説のトリオ」!
これは行くしかないと、さっそく横浜の「ドルフィー」に予約しました。そして後になって気がついたのです。日帰りは無理だと・・・名古屋ではないのですから当然で、 さりとて諦めるわけにもいかず、「そうだ、旅に出よう!」(そうだ、京都にいこう!のテーマ曲は、吉川よしひろさんが作曲です)と、あいなりました。
一度は訪れたいと思っていた、旧白洲邸の「武相荘」と、「見て、食べて」の鎌倉を組み込んだ旅のお話を、少しづつお届けします。

綿密に計画というのは向いてなくて、せめて出掛ける時間くらいはと、「武相荘」へ10時頃に着くようにとネットで調べました。 宿も前日の夜に、「桜木町・ビジネスホテル・料金」の条件で予約です。
豊橋を7時52分発の新幹線“こだま”に乗り、静岡で“ひかり”に乗り替えて新横浜へ。そのあと横浜→町田→鶴川の流れで、10時過ぎには「武相荘」へ到着。
これまで東京へ行く時など、早朝6時台の“ひかり”に乗ったものの、早く着きすぎて、朝が遅い都会で身の置場のない経験をしていたので、 こうして乗り替えることで効率よく行けることを知ったのも、ネット検索のおかげです。




10時を回ったばかりの「武相荘」は、まだ空いていましたが、入館するや、まず珈琲タイムの私です。
庭以外は撮影禁止とのことで、カフェから眺める庭も不可。ガラス越しに見える新緑がきれいでしたが、残念です。
そのカフェの前に、樹齢がどのくらいなのか、大きな大きな柿の老木がそびえていました。白洲次郎さんがこの家を買われる前からの柿の木なんでしょうね。
とっても絵になるので、しつこいくらいに写真を撮りました。

 


雨の滴をたたえた瑞々しい新緑の庭に誘われ、ぐるりと散策しました。 庭というより、森の中をというのが正しいのでしょう。自生のものと、植えられたであろう野草が、そこかしこで咲き誇り、竹林や木立からは、ウグイス始め、いろんな野鳥のさえずりが聞えてきます。 もっと近ければ、四季折々に訪れたいと思うほどで、これだけでも鶴川まで来た甲斐がありました。

昭和18年に移り住んだといわれる古民家「武相荘」の茅葺の屋根には、居場所を見つけた草木が芽を吹き、 館内では、白洲正子さんの着物や暮しの道具として使われた骨董など展示されていました。
「五十年も住んでいれば、私にとっても何か「結界」のような感じがして、書斎へ入る度に身の引締まる思いがするのである」 と言わしめた書斎も、今しがたまで使われていたと思うような雰囲気を、そのままに設え、 北側の窓から見える木々の緑が美しく、ふと、執筆の手を休め、身心を解放しながら裏庭を眺めたであろうかと、当事の白洲正子さんに思いを馳せました。
玄関を入ってすぐの、タイルを敷き詰めた土間にソファが置かれ、和洋折衷のダイナミックな空間を構成されていて、 確かな審美眼で選び抜かれた骨董などが、白洲家で暮しの道具として溶け込んでいます。
間仕切に使われている、2本の格子戸の隙間から見える玄関側の景色が、なんともいい感じで、 我家でも使っていますが、「格子効果」が創り出す視覚的インテリアを、もっともっと暮しに取入れたらと、あらためて思いました。
白洲家を語るには、あまりにも浅く狭い私ではありましたが、感じるところの多い「武相荘」でした。






帰り際、入口脇のミュージアムショップへも寄りましたら、階上からビデオの音が流れてきました。
少し前に放映されたばかりのNHK番組「その時、歴史が動いた」の“マッカーサーを叱った男 〜白洲次郎・戦後復興への挑戦〜”で、なんとは無しに観たビデオに、思いのほか感動させられました。
白洲次郎氏のことは、数年前に「太陽」の「特集・白洲次郎」という本を読んでいたにもかかわらず、その端から記憶が薄れてしまい、 辛うじて覚えていたのは、昨年名古屋の高島屋で見たベントレーくらいで、私の中では 「武相荘」=白洲正子さんでした。
そんな私でしたが、この映像を通しての白洲次郎氏の生き方と、氏あっての今の日本ではなかろうかと、ビデオが終った後も、しばらく席を立つことが出来ないほどに、深く感銘を受けました。 そして、たびたび画面に登場した、毅然とした白洲次郎氏の横顔が、しっかりと脳裏に焼きつけられました。


「武相荘」での余韻を楽しみながら、鶴川の駅まで、ゆっくりゆっくり歩いていて、ふと、歩道脇の石垣から伸びている雑草が目に止りました。 雑草も輝いて見える町を、後ろ髪引かれつつも後にしました。