この椅子は、吉村順三さんの「小さな森の家」のテラスでも見ましたが、使い込んで座面と背の生地が傷んでしまったものの、修理をしてくれるところが中々見つからなかったそうで、 今は座面も背も肘掛の部分も皮で修理されていました。

壁の中にすっぽり納まる障子の鴨居上部が飾り棚としても使える造りで、木製のサッシはじめ工業品を使わない設計が、住む人の味に染まっています。
この家の設計者を聞きそびれてしまいましたが、ひょっとして吉村順三さんの流れを汲んだ方ではないかしらと、ふと思うのでした。機会があったら訊ねてみます。

住いの中心でもあるリビングダイニングは、吹き抜け上部からの光が白い壁を伝って差し込み、 雑木林を借景にした北側のテラスからの採光とで、ほどよい明るさです。

キッチンとは収納家具で間仕切られ、ダイニングの照明は、籐を編み込んだセードのペンダントがひとつ。
一室一灯ではなく必要な所に必要な灯りをの配灯で、読書のためには、座り心地よさそうな折畳み椅子にフロアスタンドが添えられていました。

花岡さんは、大の自転車党。かなりの距離でも走るそうで、先日も岡山での個展に自転車を持参し、 目的地の手前で新幹線を降りて、ツーリングされたそうです。
今度は、八木ヨシオさんの蓼科のアトリエまで計画中だそうで、「一日では、とうてい辿り着けないだろう」との周囲の声に、にっこり。果して、この夏トライなるか?
そうそう、伊豆はその昔アイヌ人が暮していたそうで、地名も北海道あるいはアイヌの地名に似ている所が多々あり、方言や習慣も良く似ているとのことです。
「人類が流れ着いた最後の地が日本」だと聞いたことはありますが、アイヌ人もまた然りで、ここへ留まった部族も居れば、さらに奥地へと進んだ部族もいたのでしょうね。 アイヌと沖縄人との類似点なども話題になりました。

余談ですが、以前静岡新聞のサイトで、連載「大地の不思議」に、伊豆は日本列島に最後に衝突した島(島本英紀氏記)という記事が載っていました。
・・・この島が南の方からプレート(繰り返し東海地震を起こしているプレート)に載って運ばれてきて、本州に衝突し、勢い余って、本州にかなり深くまでめり込んだ・・・ こうして、今は国道246号線になっている道も、丹那トンネルが開通するまで唯一の東海道線だったJRの御殿場線も、東名高速道路も、この昔の海岸線に作られることになったのである・・・ のだそうです。新幹線や高速道路で通るたび、この話を思い出してはキョロキョロ。でも、今だ見つけられずにいます。



キッチンの窓は、季節を映し出す一枚の絵のようです。               NEXT