TALK-TALK タイトル
ライフスタイルと、その行く先 (2010.3.27)


人が、何かやモノに関心を寄せ始めるきっかけは、さまざまなのでしょうね。
私の場合は、衣食住においての関心の始まりから思うと、ずいぶん変わりました。

たとえばファッションにおいては、若い頃は太っていたこともあって、「なにを着ても似合わない」との自己暗示に陥っていましたから、 さして装いに興味がなく、会社の制服で通勤するくらいのファッションには無頓着でした。
そのくせ、メイクアップに精を出していた頃もあり、いま考えると可笑しくなります。
もっとも、付け睫をつけたり下手なアイラインを書いたりが面倒くさくて、すぐに挫折しました。

20台半ばにエレクトーンの先生からヘッドハンティング! といいたいところですが、猫の手も借りたいバブル期だったので、 勧められて“猫の手講師”へ転職し、慣れない仕事と環境に、10キロも痩せて普通の体型になれたのと、人と接する仕事だったことがきっかけで、ファッションに目覚めました。
年に一度のエレクトーン講師の演奏会があり、恋する時代だったこともあって、 今ではとても恥ずかしくて着れないような、ふわっとした花柄のワンピースも、3.4着ありました。

結婚ののち、披露宴での演奏の仕事をしていた頃は、世の中バブル全盛期、“私のファッションバブル期”でもありました。
シンプルで着回しが出来て、素材と仕立ての良い服に目覚めたこの時期 (1980年~1990年頃) のコートやセーターなど冬物は、いまだに着ています。

インテリアコーディネーター時代は、一着のスーツと季節のブレザーで対応しましたが、 50代頃からインテリアコーディネーターファッションを抜け出し、人から見てではなく、自分らしさのスタイルにしようと思うようになり、 しかも必要最低限でいいとさえ思うようになったので、箪笥を必要としなくなりました。

早々と年金生活を選択した今、「衣」は、擦り切れたら繕い、着なくなったものをリメイクし、必要なものは自分で作る・・・を心がけることにしました。

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器への関心は、結婚がきっかけです。
初めて自分で揃えた器は、「たち吉」の磁器で、5つ揃いを買うのを普通に思っていました。
それが一変したのは、当時、旧豊橋市民病院前に店を構えていた器の店「cocon」に足を踏み入れてからです。
ぶ厚くて大らかな陶器の質感に惚れて、おもに大皿や盛り鉢といったものを仕入れました。
絵付けのものが多く、「たち吉」の染付けとともに、賑やかな器が、ひと通り揃っていました。
そのあと「濫觴」で作家ものの器に開眼し、ずいぶん買い足しましたが、いま手元に残っている唐津の粉引き大鉢は、好きな器のひとつです。
「僊」では、坂口久司さんの器を好んで買いましたが、これも手元に残っているものは少なくなりました。

器は、幸か不幸か割れて失うことのほかに、重すぎたり、使い勝手がいまひとつだったり、いまの暮らしに多すぎる、あるいは無くてもよいものだったりで、 ガレージセールなどを通して、他の方のところへ行ったものが数多くあります。

手に馴染むもの、口に直接触れるものは当たりのよいもの ・・・私の場合、釉薬がかかっているもので 、汚れが落としやすいもの。(洗剤をしても落ちないものがあるのです)
また、言うほどに作れませんが、盛り付けた料理写りのいい器を、数は少なくていいから 、愛着が持てるものというふうに落ち着きました。
ただ、洋服を見ても欲しいと思わなくなって久しいのですが、好きな器を見ると、揺れ動く心をなだめつつ自問自答しています。

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住まいやインテリアについても然りで、子育てをし始めた頃は、なにがなんでも家を建てたいと思っていました。
建てる土地はあったので、「モダンリビング」を見ながら、片流れの屋根を持つナチュラルな住まいを思い描き、 スキップフロアの家などのバリエーションを、いくつかプランしました。
住宅展示場やオープンハウスにも、足繁く通ったものです。

関心が深まり、それが高じて (いつも職運に恵まれています) 住宅会社に勤めるようになり、いろんなお宅を拝見する機会にも恵まれました。
そんな中でカルチャーショックだったのは、リフォームの下見に訪問したお宅の、ギャラリーのようにモノが溢れていても美しく、リビングの、ほの暗いインテリアでした。
アジアンスタイルが、そっと私の潜在意識の中に忍び込んだのは、このときに違いありません。

モダンなコンクリート打ち放しに黒い家具といった、モノクロのイメージのインテリアにも惹かれましたが、 建築誌「住宅建築」などを通して、いろんな建築家の設計した家で養われた“住まい観”は、暮らしやすい間取りと、天井高が低くて安らぎを感じる、小さな木の家・・・家そのものが主張しない住まいです。
建築家で言えば、永田昌民さん、中村好文さん、大野正博さんなどです。
家づくりは叶いませんでしたが、自然素材に強く関心を抱いたのも、そうした人たちや建築誌からの影響でした。

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インテリアやファッション、器といったモノに求めるものが変わったように、 結婚当初の、なんでもかんでも揃えた時代から、いっぺんに無くなくしてしまった離婚期、 住宅の仕事に関わるようになり、暮らしにゆとりも出来て、“拘り”をあたためた時期・・・ 今は、それから引き算の暮らしへと向いつつあります。
何十年も培った物欲を、一夜にしてとき放すとまでいきませんが、 ないものねだりではなく、置かれた環境での身の丈にあった、ささやかな暮らしを楽しみ、 必要とされれば赴き、生かされていることに感謝し、人生の後始末をも見据えていこうと、遅まきながらの思いに至りました。

我が家へ来た人たちから、住まいのインテリアなどについて感想や質問をいただくことがあり、 ふと、このことを書き記しておこうというきっかけをいただきました。感謝。