TALK-TALK タイトル

更 紗



『濫觴』でゲットした更紗です
写真をクリックしてどうぞ
(半折サイズです)

先日、『濫觴』さんの企画展「更紗の帯」に、帯・・・というだけで興味を抱き、早々に行ってきました。 更紗という布は知っていても、その歴史には疎く、折りしも沙羅舎の小池利家氏のレクチャーがあり、 更紗の歴史など、お話を聞く事ができました。


更紗の語源は、耳からくる当て字で、皿紗(江戸時代)、あるいは沙羅ともい書き、十五、六世紀にシャム(タイ)との貿易が盛んになった頃、 インド→タイ→日本へと入ってきたそうです。バティックとは、世界共通の更紗の呼名とのこと。
日本では、薩摩藩が東南アジアの文化を採り入れるのがいち早く、鍋島藩は鍋島更紗を作ったものの、あまり発展しなかったそうです。
更紗は防染法、つまりろうけつ染めで、丹念に文様を描かれているが、最近では仕上げを早めるためのプリントものが多くなったとか。 また、日本では蝋でなく、糊(筒描)を使っていたそうで、当時、上質の綿を織る技術を持っていたものの、絹地がほとんどだったので、需要がなかったとのこと。

120とか140番手の細かい上質の綿は、そのしなやかな手触りを「冷たい」という表現をする。
茶色の更紗は、生姜・・・“そがん”などで染められたもので、ジャワの、日本の奈良のように古い町、スラカルタ地方が産地。
スマトラ産は、中国の影響を受けて華やかな感じの赤で、染料は茜。ジャワだとラスムしか染められず、バッサムの赤はえんじがかっている。
日本にもインド茜(八重山)と日本茜(沖縄・・・色が褪めやすい)がある。
ギザギザ模様は、バレンバンの文様で、正装用のもの。ふた通りに着られるように両端の色を変えてある。

アジアでは織りや染の技術が高く、布を衣裳としてでなく、身を守るものとして敬い、中判の布をたたんでスレンダーとして肩に掛けるなどして使われた。 また西洋のようにカットぜず、纏うように着る。日本でも、なるべく切らずにという和服文化があった。
「布の手触りを観るのに、決して揉んではいけません。触って手仕事を観てください」というアドバイスもいただきました。


会場には、年代モノの綿とシルクの更紗が並び、その色柄の美しさに、更紗ファンを彷彿させました。 沙羅舎さんのデザインで、一年がかりで製作されたという新しい更紗もあり、帯に仕立てられた更紗は、ひと味違った着物の装いを楽しませてくれそうです。
帯用にとスラカルタの更紗を一枚買いましたが、もうひとつゲットした34cm幅のざっくりした風合いの端布が、私好みです。