午後3時ごろに、「銃撃されけがを・・・」とのテロップに怪我の程度を心配したけど訃報となり、びっくりしました。
医療より水の確保をと、現地で灌漑事業に取り組まれていた中村哲医師。
危険と隣り合わせとはいえ、その地の人たちのために活動してたのに、詳しく知るにつけ、信じがたい想いとやりきれなさに心痛みます。。

朝日新聞より (2019.12.5)
アフガンで銃撃、中村哲医師が死亡 現地で人道支援
https://www.asahi.com/articles/ASMD45HLBMD4UHBI02P.html?iref=comtop_8_01

アフガニスタン東部ナンガルハル州の州都ジャララバードで4日朝、同国で人道支援に取り組んできたNGO「ペシャワール会」(事務局・福岡市)の現地代表で、医師の中村哲さん(73)の乗った車が何者かに銃撃された。州政府によると、中村さんや運転手ら計6人が死亡した。
【特集】中村哲医師、銃撃され死亡
 長く医療支援や灌漑(かんがい)工事を続けてきた中村さんは10月、同国から名誉市民権を授与されたばかりだった。2008年に日本人スタッフ(当時31)が殺害される事件があったため、警備員を付けて活動していた。
 同国では政情不安定化を狙って武装勢力が国際NGOや外国機関を攻撃する事件が後を絶たない。4日正午時点で犯行声明は出ていない。
 州政府幹部によると、中村さんは地元病院で応急処置を受けたが、腹などに複数の銃撃を受けて死亡したという。
 同会によると、同日午後1時前に現地スタッフから中村さんが負傷したという連絡が入った。現地時間の同日朝、アフガン東部で進めている灌漑(かんがい)工事の現場に車で向かう途中、銃撃を受けたという。

「生きておれ。病は後で治す」 中村医師は井戸を掘った
https://www.asahi.com/articles/ASMD464MRMD4UHBI04J.html

30年以上、アフガニスタンの復興を支援してきたNGO「ペシャワール会」現地代表の中村哲医師(73)が、道半ばで命を奪われた。医療の枠にとどまらず、農業にも力を尽くし、現地の人たちに感謝されていた中村さん。事件は、悪化する治安に警戒しながら活動する中で起きた。
一報を聞いて福岡市のペシャワール会事務局に駆けつけると、4日付で刷られた会報がテーブルに並んでいた。中村哲さんが決意をつづっていた。「この仕事が新たな世界に通ずることを祈り、真っ白に砕け散るクナール河の、はつらつたる清流を胸に、来たる年も力を尽くしたいと思います」
 初めて取材したのは2001年の米同時多発テロ後、アフガン情勢が緊迫し、日本へ一時帰国した際だった。以来、繰り返しインタビューをさせてもらった。活動のきっかけに話が及ぶと、いつもはにかみながらこう言った。「最初から貧しい人を助けようと思っていたわけではありません」

銃撃され死亡した中村医師 「実績重ねることこそ近道」
https://www.asahi.com/articles/ASMD455XWMD4TIPE01S.html?iref=pc_extlink

中村医師 若者数人が襲撃か 言葉にパキスタンなまり
https://www.asahi.com/articles/ASMD54VM8MD5UHBI00W.html?iref=comtop_8_05

中村医師の妻「いつかありうるとは思っていたが…」
https://www.asahi.com/articles/ASMD456YQMD4TIPE01V.html?iref=pc_rellink_01
NGO「ペシャワール会」現地代表の中村哲医師(73)が4日、突然の銃弾に倒れた。苦しむ人たちに向き合い、医師の役割を超えて農業支援にも活動を広げていった中村さん。現地・アフガニスタンでも高く評価されていただけに、交流があった人たちは「なぜ」と言葉を失った。
福岡市のペシャワール会事務局で4日、記者会見した広報担当理事の福元満治さん(71)は悲痛な面持ちで「正直、信じられない。無念でしかたない。この事業は中村哲という人物でなければできなかった」と語った。
 干ばつにあえぐ大地に用水路を造り、1万6500ヘクタールの農地を潤した。現地の住民は中村さんに「畏敬(いけい)の念を持っていた」という。「30年以上やって現地の信頼が一番のセキュリティーだった。(事件は)アフガンのことを思うとありえないこと」。今後の活動については、「あくまで続けるのが中村医師の遺志であると思っている」としながらも、「事業を拡大していくのはなかなか難しいのではないか」とも話した。
 中村さんは「自分は好きで勝手なことをしているので、家族には迷惑をかけたくない」と周囲に話していたという。妻の尚子さんは報道陣の取材に「いつも家にいてほしかったが、本人はこの仕事にかけていた。いつもサラッと帰ってきては、またサラッと出かけていく感じでした。こういうことはいつかありうるとは思っていたが、本当に悲しいばかりです」と話した。

「あまりに大きな損失
 中村さんの生き方に感銘を受けてきた多くの人たちからは、突然の死を惜しむ声があがった。
 「えっ、亡くなったんですか」。アフガニスタンなどで人道支援をする国際NGO「JEN」(東京都新宿区)の木山啓子事務局長は絶句した。「世界にとってあまりに大きな損失です」。現地の人々の健康を考えるなら、医療だけではなく穀物の栽培や灌漑(かんがい)など持続可能な解決策が大切だと、日本で会った時にアドバイスされた。「素晴らしい人をこんな形で失うなんて」
 福岡県朝倉市の徳永哲也さん(72)は、中村さんが地元の取水堰(ぜき)「山田堰」の近くに座り込み、何時間もながめていたのを覚えている。中村さんは同じような堰をアフガンにつくり、農地の再生を目指した。徳永さんは今秋、地元の土地改良区の理事長を退任。会の活動に協力するつもりで、4月には中村さんとアフガンの農地を視察していた。中村さんには武装した政府の警護者が常に付き、渋滞で止まった車をどかせるなど厳重にガードしていた。「政府がいかに中村先生を大事にしていたか。こういう状況の中での銃撃など信じられない」と絶句した。「活動がどうなるのか、影響は計り知れない。混乱して今は何も考えられない」
 上智大学の東大作(ひがしだいさく)教授は、2009年から1年間、国連アフガニスタン支援ミッションの政務官を務めた。「日本人に好意を持つアフガン人が多いのも、中村医師の活動が広く知られているから。一緒に働いた若者はみんな誇りに感じていた」と話す。
 01年の米同時多発テロ後、米英軍はアフガンを空爆した。タリバーン勢力は05年ごろから息を吹き返し、08年には国土の7割が「政府ですら危なくて行けない地域」だったという。干ばつも進み、水がなくても育つケシに頼るようになり、麻薬産業だけで生きる若者も増えていった。
 「その中で、中村さんは灌漑事業がいかに重要かを、村長、市民、時には反政府勢力を1人ずつ説得し、進めていった。他の人にはまねできないこと」と言う。
 先日は国連難民高等弁務官だった緒方貞子さんが亡くなった。「アフガニスタンをいかに良くすべきか考えていた2人を同時期に失った。大きな損失だ」
 中村さんの著書「人は愛するに足り、真心は信ずるに足る」の聞き手を務めたノンフィクション作家の澤地久枝さんは「足元から震えがのぼってきます。東京から、できるだけのサポートをしたいと思ってきましたが何と残念なことでしょう。私自身の気持ちの整理がつかず、言葉もないというのはこのことです。でも、中村先生が何より残念でいらっしゃるでしょう」とコメントを寄せた。

中村哲さん、最後の講演 即座に答えた「物差し捨てて」
https://www.asahi.com/articles/ASMD45WBKMD4TIPE02D.html?iref=pc_rellink_01

アフガニスタンで4日に殺害されたNGO「ペシャワール会」の現地代表・中村哲さん(73)が最後に帰国したのは11月中旬。滞在中、水資源の確保や管理についての研修のため国際協力機構(JICA)九州(北九州市八幡東区)を訪れていたアフガニスタン政府の職員5人に灌漑(かんがい)事業などについて講義をしたのが、日本での最後の講演となった。
11月19日、北九州市内であった。中村さんが強調したのは、現地を尊重する支援のあり方。英語で説明を始めたが、話が熱を帯びると現地のパシュトゥー語を流暢(りゅうちょう)に操り、2時間語り続けた。「私たちが貫いてきたのは、なるべく地元の素材を利用し、地元のやり方で、そこの人々の手を借りて、ローカルの力を活用すること」。研修員に「自分の国にあるものでどういう工夫ができるか、徹底してお考えになって努力して頂きたい」と訴えた。

中日新聞より転載(2019.12.7)
https://www.chunichi.co.jp/s/article/2019120601002434.html
中村哲さんの妻ら遺体と対面 アフガニスタンの病院で
【カブール共同】アフガニスタン東部で福岡市の非政府組織(NGO)「ペシャワール会」現地代表の医師中村哲さん(73)が殺害された事件で、妻尚子さん(66)と長女秋子さん(39)、同会関係者らが6日、アフガンの首都カブールに到着し、市内の病院で遺体と対面した。ガニ大統領とも同日中に面会。7日にも遺体と共に帰国の途に就く。在アフガン日本大使館が明らかにした。
 遺体と対面した尚子さんは顔を見つめながら「頑張ったね」と声を掛け、秋子さんは「お疲れさまでした」と一礼した。秋子さんは「こんなにアフガンの皆さまに好意を寄せていただいて父も喜んでいると思います」と述べた。


アフガニスタンの首都カブールで、司法解剖を終えて病院に運ばれる中村哲さんのひつぎ=6日(共同)

中日新聞より転載(2019.12.8)
https://www.chunichi.co.jp/s/article/2019120801000644.html
中村哲さんの遺体が遺族と帰国 成田、9日に福岡へ
アフガニスタン東部で殺害された福岡市の非政府組織(NGO)「ペシャワール会」現地代表の医師中村哲さん(73)の遺体が8日午後、遺族と共に航空機で成田空港に到着した。9日朝に羽田空港から福岡空港に向かう予定。
 中村さんは4日、ナンガルハル州ジャララバードを車で移動中、武装した男らに銃撃された。他にボディーガードや運転手ら5人も死亡した。
 日本から現地に向かった中村さんの妻尚子さん(66)や長女秋子さん(39)、ペシャワール会関係者らが6日にアフガンの首都カブールで遺体と対面。翌7日に帰国の途に就いた。(共同)

成田空港に到着した、アフガニスタン東部で殺害された医師中村哲さんの遺体が納められたひつぎ=8日午後5時43分

中村哲さん、無言の帰国 葬儀は11日、福岡市で

中村哲さんが伝えたかったこと~最後の言葉
https://www.youtube.com/watch?v=21RM9RgAZS8&t=13s


中村哲さんの講演会は豊橋でもあり、砂漠化した大地が数年後には緑豊かな大地になる灌漑事業に感動しました。
人にとって何が大切なのかを、現地の人たちだけでなく私達にも気づかせてくれる活動で、長きにわたって続けてこられてなお、活動半ば・・・という想いが伝わってきます。

【京都環境文化学術フォーラム】記念講演(中村 哲)

中村哲 ペシャワール会現地代表

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中村哲さん 知られざる“無垢な” 素顔
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20191206/k10012204351000.html?utm_int=all_side_ranking-access_005.

アフガニスタンで人道支援と復興に携わってきた医師の中村哲さんが銃撃されて死亡しました。中村さんと長年の親交があった歌手の加藤登紀子さんは、ある時、中村さんが嗚咽して泣いたことが忘れられないと話しました。加藤さんの話からは、つらい思いや迷いを乗り越えながら支援活動に当たってきた中村さんの素顔が見えてきました。
(週刊まるわかりニュース 井上二郎 近藤伸郎)